2025年4月22日
熱中症は、命に関わる深刻な状態です。その症状は非常に古くから知られ、治療法に関する記録は紀元前400年のヒポクラテスの著述にまでさかのぼります。それだけ長い歴史があるにもかかわらず、痛ましいことに世界では今なお毎年およそ50万人が熱中症で命を落としています。2022年の夏には、ヨーロッパだけで6万人以上が熱中症で亡くなりました。
気候変動の影響が深刻さを増す中、世界保健機関(WHO)が「世界的な健康リスク」と警鐘を鳴らす熱中症は、特に乳幼児や高齢者、慢性疾患を抱える人々、そして屋外労働者などにとって、より切迫した脅威となっています。特に日本では、高温多湿な環境のもと、熱中症による死者数はこの30年で大幅に増加しています。昨夏、日本の医療専門家は、熱中症による公衆衛生への影響を自然災害に匹敵すると表現しました。日本政府は閣議決定により、年間約1,000人となっている熱中症による死亡者数を2030年までに半減させることを目標とし、2025年4月には、企業に熱中症予防対策を義務付ける法改正が公布されました。これにより、企業の責任はさらに強化されることになります。
Biodata Bank株式会社は、この熱中症リスクを検知し、軽減することを目的として2018年に東京で設立されました。そして2020年には「熱中対策ウォッチ カナリア」を発売。建設、電力、石油、自動車業界や、消防士、救急隊員などすでに2,000社以上の法人顧客を対象に、累計100万台以上を販売しています。
Biodata Bankで執行役員 技術責任者を務める塩津 隆弘氏は、自身の祖父をヒートショックで亡くしました。塩津氏は、熱中症に対する治療法は過去2,000年にわたりさほど進化しておらず、今も水分補給や塩分タブレットの摂取、日陰での休息といった対処が主流であると指摘しています。
同氏はまた、Biodata Bank創業者で代表取締役の安才 武志氏が、熱中症の症状をより深く理解するために、まず医師への聞き取りから事業をスタートさせたと語っています。WHOによれば、深部体温が38°Cを超えると、熱中症のリスクが高まるとされています。
熱中症は、重症度に応じて以下の3つのレベルに分類されます。
- 軽傷:脱水により、めまいや立ちくらみが生じたり、血中の塩分濃度の低下により、筋肉のこむら返りなどの症状を引き起こします。
- 中等症:脱水が進行して、全身のだるさや集中力の低下し、頭痛、吐き気、嘔吐などが起こります。
- 重症:深部体温が異常に上昇する状態で、意識障害やふらつき、などの症状がみられます。重症の場合は命に関わる危険があります。
塩津氏は次のように述べています。「当初、多くの教授の方々から『非侵襲的な方法(*)で深部体温を測定するのは不可能だ』と言われましたが、それでも私たちは挑戦を続けました。最終的に、皮膚表面の温度や熱流の変動を測定することで、ようやく深部体温を推定する手法にたどり着きました。深部体温は、個人の体質や時間帯によって変動し、1°C以上の差が生じることも珍しくありません。そして、WHOが定める38°Cを基準値として、ユーザの深部体温の上昇を検知し、それに応じて熱中症リスクを算出するアルゴリズムを開発しました。」
*体内に器具を挿入しない方法
カナリアの効果を実証した世界各地でのフィールドテスト
炭鉱でカナリアがいち早く危険を察知することから名付けられた「カナリア」は、スイッチひとつで簡単に起動します。腕時計型デバイスが深部体温の危険な上昇や変動を検知すると、バイブレーションに加え警告灯とアラーム音で注意を促します。カナリアは38°Cを基準に設定されていますが、高齢者や基礎疾患を持つ方は熱への耐性が低いため、体温が1-2℃以上変化した際にもアラームが作動する設計となっています。
塩津氏は次のように続けています。「当社独自の特許技術で、複数の温度センサを特定の配置で設置することにより、皮膚表面を出入りする熱の流れ(熱流)を測定しています。表面温度と熱流を同時に測定することで、深部体温の推移を正確に予測できるのです。」

Biodata Bankは、欧州で25社、800名以上の協力を得てカナリアの検証を行い、データを収集しました。同社はパリにオフィスを開設し、フランスの大手建設会社と建設現場において予防効果の実証トライアルを実施しました。直近では、サウジアラビアの石油会社とも連携して取り組みを進めています。他にも、エアバスやスペインのEdison Next、そして日本の京急電鉄などもカナリアを利用しています。
Biodata Bankの公式HPに掲載されたエアバスの導入事例によると、同社は2022年の猛暑を受けてカナリアを試験導入することを決め、2023年6月から9月にかけて、暑熱にさらされるリスクがある従業員のうち150名を対象に、トゥールーズ工場で実証試験が行われました。この結果、カナリアがエアバス内の暑熱対策において有効なソリューションであることが実証されました。
ルネサス、低消費電力RA0マイコンと設計面での技術支援を提供
カナリアはわずか30グラムと軽量で、80°Cまでの耐熱性を備え、電池1個で約5か月間使用可能です。塩津氏によれば、性能と消費電力のバランスを最適化するために、ルネサスと緊密に協力して取り組みを進めたといいます。 最終的にBiodata Bankは、Arm® Cortex®-M23コアを搭載した汎用32ビットマイコンとして業界最高クラスの低消費電力を誇るルネサスのRA0シリーズを最初に採用したお客様となりました。
塩津氏は、次のように振り返ります。「カナリアは、使いやすさを最優先に設計されています。一度電源を入れれば、5か月間継続して使用できるため、利用者にとって非常に手軽に使える製品です。この使いやすさを実現するためには、非常に低い消費電力で動作する必要があります。この要件を満たすために、私たちはRA0マイコンの低消費電力と高速ウェイクアップ機能に注目しました。これにより、カナリアは低消費電力でスリープモードを維持し、測定時のみ高速起動することができます。ルネサスからは、ハードウェアとソフトウェアの両面において多大な支援を受けることができました。ルネサスのFAEは技術力が高く、部品選定から開発まで一貫して丁寧にサポートしてくれました。そのおかげで、短期間でスムーズに製品化につなげることができました。」

カナリア、新機能を搭載した次世代モデルへと飛翔
Biodata Bankは、政府や教育機関からの今後の関心の高まりにも期待を寄せています。たとえば、米国では多くの教室にエアコンが設置されていなかったり、日本をはじめとする多くの国々では、子供たちが猛暑の中、長距離を徒歩で通学することも珍しくありません。また寒冷地域であっても、カナリアは金属鋳造や製鉄といった高温環境で働く人々に安心を提供します。
カナリアの次期モデルには、マイコンへの負荷を最小限に抑えつつ、従来のフラッシュメモリと比較して最大85%の省電力を実現するルネサスのSPI NORフラッシュメモリが搭載される予定です。
Biodata Bankでは、使用後のカナリアを回収し、データを収集・分析した結果をユーザへ提供しています。今後のモデルでは、カナリアのデータをLPWAなどの無線通信により、リアルタイムでの収集と分析を可能にしたいと考えています。また、データを管理者の下に集約することで、現場管理者は危険が迫る前に作業を中断させ、従業員の安全を確保する判断を下すことが可能になります。
塩津氏は次のように締めくくりました。「かつて暑さへの対策といえば、水分補給と塩飴を口にする程度しか有効な対策がありませんでした。科学的根拠に基づいて状況を分析し、タイムリーに対処する術がなかったのです。現在では、カナリアの導入により、熱中症の重症化リスクが大幅に軽減されている企業も増えています。」