2023年12月14日
ヘルストラッカーとも呼ばれるウェアラブル端末は、過去約10年間にわたりフィットネス業界を席巻してきました。Precedence Researchの調査によると、2022年時点の世界のウェアラブル市場は1,380億ドルであり、2032年までには5,000億ドルに迫ると予想されています。今日、ウェアラブル端末はプロアスリート、フィットネス愛好家、カジュアルに運動を楽しむ人など幅広い人々に利用されています。そして、様々な身体データを測定し、利用者の健康的で効果的なトレーニングをサポートしています。
インドの新興企業であるMuse Wearables社は、従来のウェアラブル端末の形状を見直し、リング型にデザインした製品を発表してフィットネスシーンに躍り出ました。「Ring One」という名のこのリングは単なるファッションアイテムではなく、心拍数、心拍変動、血圧、呼吸数、体温、血中酸素レベルを記録する臨床グレードのヘルストラッカーです。さらに、動作モードをさっと切り替えるだけで、Ring OneはNFC対応の電子決済デバイスに変わります。
創業当時の歩み
Muse Wearables社は、インドのチェンナイにあるインド工科大学マドラス校の「 Incubation Cell program」の一環として2017年に創業。創設者のPrathyusha Kamarajugadda 氏、KLN Sai Prasanth氏、Yathindra Ajay KA氏は、共にインドのコンシューマエレクトロニクス業界にとって革新的なメーカになることを目標としていました。
「インドには世界レベルのテクノロジ企業がありません。世界にはアップルやサムスンがあります。でも我々の自国には民生用テクノロジ企業がありませんでしたので、その分野に非常に興味を持ったのです」とPrathyusha氏は振り返ります。
クラウドファンディング サイトIndiegogoを利用し、同社は2019年に最初の製品としてBluetooth接続とアクティビティ追跡機能を備えた「Muse Hybrid Smart Watch」をリリース。2020年に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行した際、同社がこの製品に血中酸素モニタリングの機能を追加したことで脚光を浴びることとなりました。この機能で得られるデータにより、臨床の場で患者の血中酸素濃度が人工呼吸器を必要とするレベルまで低下したかが正確に判断できるようになり、インドの医療業界にとって変革をもたらす製品となったのです。
「私たちはすでに一般消費者向けの販売を行なっていましたが、患者を遠隔で監視するために病院に導入したいという要望を受けました」とPrathyusha氏。「このタイミングで医療分野にターゲットを移行しました。ヘルストラッカーを患者に使用してもらうことで、病院スタッフにタイムリーな警告を出せる体制を提供できたのです。我々の技術が命を救うために役立っていると知れたことは非常に素晴らしい経験でした」
医療活用で得た教訓
このスマートウォッチが広く採用されたことで、同社は何百万もの身体機能に関する匿名データを収集し、ヘルストラッカーのアルゴリズム精度を向上させることができました。しかし患者の健康管理の点でいうと、主に睡眠中などに手首の周りを動いてしまう腕時計タイプの端末は、人間工学的に最も実用的なつくりとはいえないことも、この経験を通して明らかになりました。
「そのとき、我々は指の方がより正確なデータを記録するのに適した場所であることに気が付きました。徹底的な研究の末、完璧なフィットネス端末であると我々が信じているRing Oneという製品を作り上げることができました」とPrathyusha氏は語ります。
Ring Oneのある生活
例えば、日常生活(医療現場以外)におけるRing Oneの使用は、重要とされるレム睡眠時間を含む、夜間のバイタルサイン分析に基づく、毎朝の睡眠スコアの確認から始まるかもしれません。同社によると、このようなデータはユーザがその日どれだけ整ったコンディションであるかを理解するのに役立つといいます。
「睡眠スコアが低い場合、問題の原因となっている可能性のあるものがユーザごとに細かく分析され、睡眠の質を改善する方法をアプリが提案してくれます」と同社の製品マネージャ、Dhoorjati Varma 氏は述べます。
日中は歩数などのすべてのアクティビティを追跡し、ユーザが長時間動かないでいると警告を発します。さらに、激しいトレーニング中などに人がどれだけの酸素を使用するかを示す最大酸素消費量や、リラクゼーションや瞑想などのエクササイズ中の心拍数の変動も記録します。
電子決済の場面では、財布やスマホを必要とせず、POS端末に手をかざすだけでアクセスできます。また、将来のアップグレードでは、車や家のロック開閉を可能にするインタフェースを搭載することも検討しています。
機能の拡張
Ring One は驚くほど多くの機能を統合しています。温度センサ、3D加速度センサ、ジャイロスコープという機能に加えて、電子決済とデバイスの充電をひとつのNFCアンテナで実現するという新たなコンセプトを追求しました。独自のユーザインタフェースにより、データをスマートフォンに中継できるBluetooth機能までも利用できます。
「リング型のフォームファクタは非常に小さく、ユーザインタフェースのデザインには十分な検討が必要でした」と振り返るPrathyusha氏。「リング外側のシェルを回転させてさまざまなモードをアクティブにする操作方法をとっていますが、我々はこれを『回転ホイール型インタフェース』と呼んでいます。例えば、シェルを左に回転してワークアウトを開始したり、右に回転して電子決済モードを有効にしたりするのです。リングには充電ケースも付属しており、専用のバッテリーは約1か月間持続します」
Ring One はワイヤレス充電とNFC決済を1つのアンテナに統合することでコンパクトな端末を実現し、新時代を開拓しました。革新的な回転ホイール型のユーザインタフェースにより、機能性がさらに洗練されています。もちろん本製品の画期的な技術は複数の特許出願により裏付けられ、この分野における真のイノベーターとしての同社の立ち位置を確固たるものにしています。
Muse Wearables社は、決済にかかる通信と充電をひとつのアンテナで実現するため、NFCワイヤレス充電技術に強みを持つPanthronics社(2023年6月にルネサスが買収完了し、現在はルネサス)を頼りました。
「このプロジェクトでは実装面積が大きなファクタを占めますが、条件をクリアできるソリューションを提供できたのはルネサスだけでした」とPrathyusha氏は述べます。
そのソリューションを実現する技術として、充電ケースにはNFCトランスミッタ「PTX130W」を使用しており、充電ケースからリングに電力を送信し、業界最高水準の出力電力でより高速なNFC充電を実現します。さらに、リングにはNFCリスナー内蔵のシステムオンチップ(SoC)「PTX30W」が搭載され、強力かつ効率的なワイヤレス充電が可能になります。これにより、データ通信と組み合わせたワイヤレス充電アプリケーションを実現しました。
PTX130WのRF性能は、外付けのディスクリート・コンポーネントを排除する一方で、小型アンテナの設計において高速充電を可能にします。また、同じく搭載されている低静止電流パワーマネージメントIC(PMIC)「DA9070」と昇降圧スイッチングレギュレータ「ISL9120」も、Ring Oneの設計において有益な役割を果たしています。
「私たちは創業当初からルネサスのチームとはつながりがありました。製品設計において非常に重要な部分であるテストや評価の実施において、彼らは非常に協力的でした。本当に素晴らしいコラボレーションでした。Ring One を市場に投入できることを楽しみにしています」とPrathyusha氏は語ります。
9月末の世界的な発売と2024年1月の出荷開始を控える中、Muse Wearables社は、Ring Oneが人々のヘルストラッカーとの関わり方を変え、電子決済利用の選択肢を拡大する契機になると確信しています。(インタビューは2023年9月に実施)